図書館に行こうよ ―図書館職員の図書館的日常―      157  
     
  コロナ禍のなかで  
     
   館内に利用者の姿がなく、ピピッ、ピピッという音だけが響いている蔵書点検中の今週の栗盛記念図書館です。
4月のコラムで「コロナ鬱」のことを書かせていただきました。図書館の事業がほとんど中止になり、「あれ?今って何月だっけ?えっ?もう〇月?」の会話がしばしばありました、と言ってもほとんど私からでしたが。陥ったか。。。いやいや、それはない。だって9月13日「西村由紀江ピアノリサイタル」がほくしか鹿鳴ホールで、YAMAHACFXのお披露目として開催され、本当に久しぶりに、堅苦しさのない至極の時間を過ごすことができ、私は復活できたかも(でも心の中ではまだ足りない!というのも聞こえてきます)。
新年度の半分が過ぎ、折り返しになりました。でもコロナはまだ落ちついてはいません。今年度行うことのできた単独事業は、学校支援が続いているとはいえ「星空★図書館」と「にぎわいひろば ことりのさえずり」のみ。おはなしの森さん、図書館後援会の皆さんのご協力で、おはなし会や文化講演会、文学講座が始まってきています。
夏休みが終わっても図書館は休館することなく、資料(蔵書)の提供が続けられております。ありがたいことではあるものの、子どもたちのにぎやかさが少ないのはやっぱり淋しいものです。

✿「積極的感受」について
知人が参加している同人誌の「編集後記」に同人の方が「私は自分の置かれた境遇(運命)を甘受して生きてきた」との一文がありました。
小説「あん」を書かれたドリアン助川氏は「積極的甘受」という表現で元ハンセン病患者の生き方を書かれ、講演をされています。前者の「甘受」とは意味合いが違ってはいますが、置かれた境遇の甘受よりも「積極的甘受」には強さがあるように思います。
同人誌を送ってくれた知人の手紙に「メメントモリ=死を忘れるな」という言葉もありました。この言葉も以前別の知人のコラムで見た言葉でした。そして今斜め読みしている「緩和ケア医が、がんになって」にも「死の記憶」という意味でメメントモリの記述がありました。人の死亡率は100%。死を意識することは生を意識すること。いかに生きていくのかが問われている時代なのかもしれません。
「明けない夜はない」と言ったら、ドリアン氏から「夜明けに一番自死者が多い。夜は夜で素晴らしいのです」と返ってきました。そうくるか。確かに夜明け前の一瞬の色はとても素敵な色になるときがあるのですが、現実の夜とは違うのですとは言い返せませんでした。

✿そういえば。。。
大きな告知です! まだ少し先の話ではありますが、11月14日(土)に「犬の詩の朗読会」を開催したいと考えています。「開催したい」というのは、コロナがどうなっているのかで決まるからですが、ぜひ実施できるようにしたいと思っています。
朗読者はドリアン助川氏と管啓次郎(すがけいじろう)氏。ドリアン助川氏は明治学院大学、管啓次郎氏は明治大学の教授です。「教授」という肩書よりもたくさんの著書を世に出していらっしゃる方々といったほうがいいかもしれません。図書館に何冊もありますのでぜひお借りください。
管さんは「犬のパピルス」などの詩集を出しておられますが、決して秋田犬ブームに乗っかったわけでは決してないのです。ドリアンさんの最近の著書に「新宿の猫」がありますが、どう絡んでいかれるのかがとても楽しみです。場所はほくしか鹿鳴ホール(市民文化会館)中ホールです。開演時間は午後1時30分、申し込み等の詳細はまた後日のお楽しみに。。。(保)