図書館に行こうよ ―図書館職員の図書館的日常―      242
 
     
  千年後の「春はあけぼの」  
     
 

春って曙よ!

 のっけから失礼しました。最近大河ドラマで活躍しはじめた清少納言による「枕草子」の、橋本治さんによる「桃尻語訳」版です。

 「枕草子」はおよそ千年前の平安時代、一条天皇の中宮・定子に仕えた女房の清少納言が書いた随筆です。広く知られた冒頭部分を引用すれば、「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」。案外短いのです。なんとなく、春がたけて夜明けの時分にも寒さがなくなっている頃合いを想像させます。

 この後、「夏は」「秋は」と続きます。よく読むと、春から冬になるにつれて文章が長くなっていきます。書きはじめたら筆がのっていく様子がうかがわれてほほえましいです(注1)。

 その昔、NHK教育テレビ(現Eテレ)で「まんがで読む古典」という番組がありました。タレントの清水ミチコさんがスタジオに著者を招いておしゃべりする解説のパートと、漫画(イラスト)で内容を紹介するパートで構成されていたと思います。「枕草子」「徒然草」「更級日記」などが取り上げられ、清少納言はおかっぱ頭のキャラクターでした。初出仕のとき、白粉が崩れて必死で扇で顔を隠していたという場面が印象に残っています。おそらく、この番組で「枕草子」を知り、橋本さんの桃尻語訳も読んだのだと思います。

 ものすごい勢いで清少納言が話しかけてくるような訳文です。今でいうギャル言葉のようなものでしょうか。あらためて本を確認してみると、訳者自身が「あまりにも過激」と最初に明言していました。そして清少納言の言葉で詳細な注釈が施されています。この訳文の最大の良さは、第222段(注2)に表れていると思います。

 内容としては、端午の節句の日、三条の宮にいらした中宮のもとに、節句につきもののショウブや季節の飾りが届けられる。清少納言は古歌を引用して中宮にお菓子をさし上げる。中宮がそれにこたえて歌をお詠みになる。その様子がとても素晴らしかった、と簡単にまとめられるのですが、それについて清少納言は注釈でこう言います。「ここの話って、多分あなたがたには分からないと思う。」「宮は、すごく悲しんでらっしゃるのよ。」「でも、あなた達にはその理由が分からない」「だから、あなた達にはこの文章が全然分からない」。主人である中宮を思う清少納言の真心があふれ出ていると思います。

 中宮の体調や、古歌に重ねられた清少納言の思い、中宮の和歌にこめられた心情、政局、舞台である「三条の宮」がほのめかす意味が解説され、この章が単に「枕草子」によく出てくる季節の行事の一場面ではないことが次第に明らかになります。さらに「裏の事情は書くつもりはなかったんだけど、『三条の宮』の一言でわかる人だけわかってね」、という清少納言のメッセージを読み取って言語化した橋本さんに感嘆させられます。詳しくは『桃尻語訳 枕草子』下巻をご覧ください。

 現在なら、「枕草子」のとっかかりとしては、漫画に抵抗がなければ『まんがで読む枕草子』がおすすめです。ストーリー漫画と4コマ漫画で表現してあります。清少納言の性格や清少納言をとりまく人たち、その状況がわかるエピソードがうまくまとまっています。

 全訳ならば『日本文学全集 枕草子 方丈記 徒然草』に収められた酒井順子さんの訳が読みやすいと思います。意外にしっとりした文章のように感じられます。そう言えば酒井さん自身のふだんの文章、落ち着き払って抑えに抑えたような文章に通じる印象があります。『枕草子REMIX』も、清少納言と酒井さんが対談したり、清少納言の挙げた「○○なもの」を現代版で併記したりと、読んでいて楽しいです。

 清少納言は、自分の仕える中宮やその兄弟がなごやかに麗しく集う様子を「千年もこのまんまだったらなァ……っていう御様子」と記しています(桃尻語訳)。千年後、わたしたちは清少納言が残したかった光景を思い描くことができます。昔の誰かが、これを伝えていきたいと思ったからです。「枕草子」のおかげで、文章(書物)を後世に伝える図書館員としての役割に思いを馳せたりする、千年後の春です。(栗盛・田村)


(注1)「枕草子」は写本が何種類も伝わっているので、どの写本を採用しているかで本文が多少違います。なかには、春より夏の部分が短いものもあります。ここでは筆者の記憶にある文章と一致する『新編日本古典文学全集 枕草子』を引用しました

(注2)同様の理由で本によって段数は前後します。例えば、該当の場面は『新編日本古典文学全集』では第223段となります