『十和田湖は活火山』(2015/05/22掲載)

 

 仕事が溜まってどうしようもない時に限って読書欲が昂進する。学生時代の試験前からの性癖(?)だし、そんな読書が自分をつくってきたとも思えるので、今更仕方ないのかなぁ。いや、仕事をサボってというわけではないのですが……。

 

✿1100年前の大噴火

 平成14年に小坂町で開催された同名シンポジウムの記録として編まれたのが、『十和田湖が語る古代北奥の謎』(校倉書房、2006年、比内図書館蔵)。近年の目覚しい遺跡発掘に伴い、従来の歴史が見直される、あるいは徐々に空白が埋められる経過が垣間見られる、とても面白い一書となっています。特に前九年の役に先立つ約150年間の歴史認識についての活発な論争が面白い。発掘資料に基づく新説と従来の説がぶつかりあう様が、野次馬根性を満足させてもらえます。

 それはともかく、一番最近の十和田湖の噴火が915年(延喜15年)だったって、知ってました?ちょうど1100年前、地質時代でいうとほんの昨日みたいなものじゃないですか。考古学好きには常識かもしれませんが、恥ずかしながら私ははじめて知りました。そしてこれは、過去2千年間に日本で起こった最大の噴火なのだそうです。

日にちまで特定されていて8月17日。延暦寺の僧皇円が編んだ『扶桑略記』に、8月18日の朝日が翳りまるで月のようだった、後日出羽の国から降灰被害の報告があったという記述がある、というのです。富士山の噴火で江戸に降灰があったように、また中国の黄砂がわが国に降ってくるように、偏西風が卓越する日本ではふつう浮遊物は東に運ばれますが、夏のこの時期は冷害をもたらすヤマセの季節でもあります。北東風のヤマセにのると京都まで1日で運ばれてしまうのか。結構速いですね。

 この時の噴火では50億トンのマグマが噴出したとされています。10トントラックで5億台分……全然イメージ湧きませんね。十和田火山の3万年前と1万5千年前の噴火ではなんと500億トンだそうです。ちなみに平成3年の雲仙普賢岳の時は4億トン。十和田湖は実はとてつもない火山なのです。

 

✿菅江真澄の見たもの

 噴火で怖いのは猛スピードで襲ってくる火砕流、915年のものは毛馬内火砕流と名付けられています。その上、大雨が堆積物を押し流して発生する大洪水の泥流が下流の村をのみ込みます。実際、米代川沿いでは壊滅的な被害を受け、北秋田市の胡桃館遺跡を始め、大館市の道目木、池内などで多くの埋没家屋が見つかっています。

 というところでやっと話は市立中央図書館の所蔵資料につながります。当館が保有する菅江真澄の著作の内、図絵集『菅江真澄翁画』(資料番号M5-15)に、5丁(10頁)にわたって埋没家屋と出土品の詳細なスケッチが残されているのです。1817年の豪雨で出現した脇神村(現北秋田市)の埋没家屋で、まさに915年の十和田噴火で埋まったものです。市立図書館のホームページでこの図絵集を見ることができます。「菅江真澄著作集」というアイコンをクリックしてお入りください。

 ところで、十和田噴火に先立つ869年には、先の3・11大震災で知ることになった貞観大地震が発生し、前後して富士山、阿蘇山、鳥海山などで大噴火が起こっています。それを思うとやはり怖いですね。それでも我々の先祖は頑張った。10世紀前半の内に高台に移転した(あるいは外からやってきた人々がつくった)集落は、それ以前に比べて大型化し、明らかに人口が増えているというのです。久々にまた東北~沿海州の歴史がマイブームになりそうです。

 

 話は変わって、松岡享子さんの『子どもと本』(岩波新書、2015)を、少しずつゆっくり噛みしめるように読み進めているところです。磨かれた輝石のような文章に、いつまでも浸っていたいと思わせる本です。中央図書館と比内図書館で所蔵しています。 (陽)