真崎勇介略歴 
 
 
 勇助は天保12年7月10日、先祖からの屋敷であった久保田東根小屋町に生まれた。
                          (今の秋田市中通の小泉病院のところ)
12才で藩主義睦(よしちか)に仕え、その後義堯(よしたか)に歴任、戊辰の役には28才で出
陣しててがらがあった。
 明治2年藩制の改革があり、勇助は29才にして藩知事佐竹義堯家最初の家従に抜てきされた。
若いときから大へんな勉強家であったので、こうした知識教養が家従として指名されるにふさわしかったものと思われる。

 本館には数知れぬ土器・石器類が所蔵されているが、これは全て勇助の収集にかかるものである。のちに彼が語っているように、菅江真澄の遊覧記に刺激され、先輩大友道恒(県庁勤務)の導きによって病みつきとなって集めたもので、真崎文庫の中に、明治7年からの探訪の日記がかなり詳し
く書かれたものがある。彼はみずからは「石翁」または「石癖頑夫」とも号していたし、他からは
「石コオンツァン」で通っていた。その面では中央一流人との交わりも多かった。

 土・石器の研究とともに、勇助が終生の努力を傾けたものに古文書の収集とその編集があった。
みずからは18才にしてこの発願をしたといっているし、事実21・2才ごろの筆写本が真崎文庫
の中に混じっているのを見る。彼は来る年も来る年も、ややもすれば単調であき易い自分を励まし
ながら書き続けて行った。勇助の筆記物の特長は決して粗末に文字を書いていないということである。その意味で彼は遅筆家であったし、それはまた、できれば刊行したいという編集目的を意識し
てのことであったようである。親交のあった、狩野旭峰、その兄の良知(亨吉の父)の序文などの
ついている編集物も該文庫の中にいくつか見受けられる。
 古文書・古記録類も手当り次第集めたし、その資料を惜しみなく貸出して研究家の便宜をはかっ
たことが、諸氏の手紙などに見えている。

 こうしたたゆまぬ勉強によって、郷土研究については第一級の人となっていた。
それゆえ明治20年青山知事によって本県最初の秋田県史編さんの企画がなされたときは、 大友道
恒らとともに編さん委員となっていたし、同34年武田知事によって再度計画が進められたときも
狩野旭峰らと編集委員をつとめた。この両県史は、知事の更迭などによって発行を見ないでしまっ
たが、彼の学識は委員としてもっとも適当であったことを物語っていると見てよい。

 田地からは相当の収入があって、生活には困らなかった勇助にとっては、書写を趣味とし、収集
に没頭することが一番の生き甲斐であった。したがって行政の人としてはあまりパッとしなかった
らしく、秋田博覧会の御用掛・明治天皇御巡幸に際しての天覧物世話方をしたりというぐらいで、
秋田書籍館勤務をはじめ、秋田師範学校秋田中学校の舎長・書記など割に地味で目だたぬ場所での
勤務が多く、その代り、それらは学問と直結した環境であっただけに素志を貫くことができたとい
えよう。

 石州流茶道の師範、秋田高女の作法教授嘱託など、比較的静の面を好んだ人であったらしい。
秋田史談会創設者の一人でもあり、その代表的地位にあった。
 大正6年3月18日没、77才。秋田市誓願寺に葬られた。
墓石には「真崎季顕之墓」(季顕・・・すえあきは勇助の名乗り)と刻まれてある。
 真崎文庫の経過 
 
 勇助の収集した書籍・文書類や、編集した多くの書き物の保存については、勇助の没後一体どう
なるものかについて、土・石器類同様生存中から苦心の存するところであった。

      土器・古文書及び拙著は邸内に倉庫を造りて保存し、世用に供したいもので
     すが、資力に乏しくして事志とちがひ、没後の散佚を恐れて居ます。
     篤志の人にして助力せらるゝも辞せませんし、或は県立博物館の設立せられる
     る事あらば、挙げて之を寄託せんと思っております
。 (真崎勇助談・秋田魁新報)

 心ある当時の人びとは、中央の秋田市に置いて保存し、十分な利用の道を講ずべしといい、ある
いは市内何軒かの富豪に保管方をかけあってくれた人もあったが、それは結局無駄であった。筆書
きの古い本と、土中から掘出された古器物では、特に当時の富豪たちには真剣に話しをきいてくれ
るほどの理解がなかったといっていい。
 
 大正12年秋、勇助7回忌の法要が行なわれたのち、長男徳也から土・石器類およそ8100点
・書籍・書翰類およそ3000点(当時の秋田魁新報による)が、大館町の栗盛家に引き継がれ、
財団法人栗盛教育団で保存されることになった。これは尾池前秋田県学務部長と沼田大館町長のあ
っせんによって話がまとまったものである。

 秋田市の富豪たちに一顧も与えられなかったこの文庫は、栗盛家の厚意によって大館で実を結ぶ
ことができたのであって、そうでなかったら、これらの資料はとうに散在あるいは散佚してしまっ
て、研究者を嘆かせたことであったろうと思われる。それはひとりの書籍のみならず、土・石器類
についても云えることである。
 
 昭和3年栗盛教育団から大和田楳之助ら編による「文献目録」が刊行され、各所に贈られて資料
利用の便に供された。
 昭和26年、栗盛家が教育団の敷地建物を含めてその全部を大館市に寄附・改装の上、昭和28
年大館市立栗盛記念図書館として新発足した。

 これらの記録類は勇助存命中から「真崎文庫」または「酔月堂文庫」(酔月堂は勇助の号、また
海?などとも号した)と呼ばれていた。実は、40年も栗盛家の手にあり、それが図書館の備品と
して移されたのであるから、習慣上当然「栗盛文庫」と銘名すべきであったが、栗盛家では勇助の
志を重んじて、「真崎文庫」と呼んでくれるようにとの親切な助言があったと聞く。この蔵書中に
は秋田県の文化財に指定になっている菅江真澄の自筆本が多く含まれていることはご承知のとおり
である。


                       
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