資料 |
分類 |
資料名 |
番号 |
解説 |
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雑纂 |
錦木 |
M5-8 |
全五十九丁のうち、冒頭四分の一は、盛岡藩領鹿角郡毛馬内付近をめぐった文化四年夏の日記の断片、錦木塚に関する他人の詩歌六編、錦木塚周辺の図絵からなっている。また、後部四分の三は、主に津軽地方を描いた図絵からなっている。 |
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雑纂 |
風野塵泥 |
M5-10 |
伊藤東涯著『?軒小録』(随筆)から四項目の書写、『浅利記(浅利軍記)』の書写のほか、随筆の断片と考えられる文などが見られる。
印記から明徳館献納本であったことが知られる |
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雑纂 |
椎の葉 |
M5-14 |
《世々のふる跡》《世々のふる塚》(いずれも未完成本)という真澄の項目別著作の草稿、平鹿郡の地誌の草稿、他書や版本等からの抜書など、さまざまな内容や料紙が綴り合わされた雑纂である。文政七年の年紀が二ヵ所にある。真澄自らが装丁した時に付けられた目次が、第一丁にある。 |
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雑纂 |
房住山昔物語 |
M5-21 |
かつて修験寺院として栄えた房住山(三種町上岩川と能代市ニツ井町の境にある山、標高四〇九メートル)にまつわる二つの古書の書写本である。はじめにそれぞれの古書に出てくる人名と地名を書き出した上で、「房住山昔物語」と「梵字宇山興立ノ記」を書き写している。 |
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雑纂 |
陸奥国毛布郡一事 |
M5-23 |
盛岡藩領であった鹿角郡が、がっては毛布郡と表記されたことに関わり、『玉勝間』『続日本紀』『倭訓栞』などから関係した記事を写すほか、地元にあった「錦木山観音寺由来記」(《けふのせばのの》にも記載)を写している。さまざまな料紙を綴じ合わせた雑纂である。 |
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雑纂 |
風能おち葉 |
M5-29 |
地誌編纂のための覚書や他書からの技書を綴り合わせた雑纂。
中でも、秋日郡に関する覚書が目立つのが注目される。 |
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雑纂 |
迦是能淤地婆 |
M5-30 |
真澄の随筆《筆のまにまに》の草稿や地誌の覚書などが綴られている。また、『擁書漫筆』(随筆、高田与清著)、『玉勝間』(随筆、本居宣長著)、『倭訓栞』(辞書、谷川士清著)など多くの書物からの技書が綴られている。これらは随筆の素材としての覚書であったと考えられる。 |
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雑纂 |
風能おち葉 |
M5-31 |
真澄が古跡についてまとめようとした《世々のふる跡》(未完成本)の草稿が七丁綴られている。また説話集、歴史書、歴史注釈書、歌集、辞書などさまざまな分野の書物からの抜書きがある。 |
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雑纂 |
雪能夜万踰え |
M5-32 |
十二月十日、五条目の加賀谷彦兵衛家にいた真澄が、上小阿仁方面を目指して旅した日記である。山越えをする前に文章は後欠となっているが、図絵には雪に埋もれた中茂(上小阿仁村)があることから、雪中の山越えを行なったことがわかる。また、大川(五城目町)に関する図絵もあるが、これに相当する記述はない。文政三年の日記と考えられる。 |
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雑纂 |
都由野塵束 |
M5-34 |
『和泉名所図会』や『羽陰史略』など、さまざまな資料からの書写を綴じ合わせたものである。内容から、地誌《月の出羽路仙北郡》に関わる資料として書写したものと考えられる。 |
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雑纂 |
筆能志可良美 |
M5-37 |
「千代の色」「槻のわか葉」「花のちり塚」「上津ノ花」「氷魚村君」という五篇の雑葉類・草稿を綴り合わせている。「千代の色」は文政六年一月〜三月の日記で、《風の落葉》二巻(県公文書館蔵)の一部とともに、『菅江真澄全集』では《笹ノ屋日記》として翻刻されている。「槻のわか葉」は文政五年四月の日記。「花のちり塚」は文政五年春から夏頃の日記。「上津ノ花」は文政四年三月の日記とされ、図絵は《菅江真澄翁画》にある。「氷魚村君」は文政五年春に東本願寺に奉納したものの草稿と、真澄自身が記している。 |
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雑纂 |
高志栞 |
M5-40 |
冊子の前半は、久保田の本誓寺住職是観が実家のある越後に帰った時の「高志路ノ日記」や、万元上人という人の「加茂日記」の書写からなり、後半は、越後に関する事項が項目立てて書かれている。 |
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雑纂 |
混雑当座右日鈔 |
M5-42 |
覚書を寄せ集めた一冊で、断簡を添付したり、反故紙を裏返して使ったりしている。覚書のうちの二つが、随筆《久保田の落ち穂》に取り入れられている。また、第六丁表に「左仙北一事」と書かれた紙片が見出しのように貼られていることから、地誌のための覚書としても使われたと考えられる。 |